Pages

2006/02/19

ずう~っと隠していたことそろそろ告白します。。。大学編

大学受験は端から現役合格は諦めていた。相変わらずスポーツマン気取りで卒業ぎりぎりまで後輩の指導とかでバスケの練習に参加したことは後でその言い訳を用意するためだけでしかなかった。しかもそのころ若い男を陥れる人生の罠が準備されていた。自宅で与えられていた自分の部屋は二階にあり、窓の下には隣の個人医院の広い庭があった。夜の受験生の貴重な学習時間を妨げたのはその庭の大きな池に注ぐ水音でもたまに響く獅子脅しの甲高い音でもなかった。ある夜その庭の対角線の向こう側にある建物の一部屋に電気がつき若い看護婦が華やいだ声で入ってきたのがわかった。開け放たれた窓から白衣を着替える彼女達が良く見えた。部屋の電気を消し身をひそめて待つ日々がしばらく続いた。勉強時間の大幅な減少に危機意識を持ち、卑屈な覗き見の生活に激しい自己嫌悪と憤りを感じ、ある時その庭に向けて「ちきしょう!」と大声で叫んだ。翌日からは看護婦控え室の場所を変えたのかその光景を再び目にすることはなかった。大学は二つ受けた北海道の大学のひとつにかろうじて引っかかり、志望校とはいえなかったが何事も流れに身を任せる性格で、躊躇なく入学した。港町にある大学でヨット部に誘われてはいった。日々合宿がはられる艇庫のあったのは寒村というべき零細な漁業を営む漁民たちの住む村のはずれで、厳しい自然に打ちのめされながら質素な生活を強いられている人々の遊び半分の学生の道楽に注がれる視線が痛かった。大学を留年し、社会人になってしまうことへの覚悟の未成熟な自分に一年の猶予を与えた。アルバイトの日々と貯めたお金を使って3ヶ月ほどのイギリス旅行に行った。オックスフォードでの生活で知り合ったスペインの女性とキスをした。日本から来ていた東京の女子大生とは一時の恋人状態になった。大学に戻った時、付き合っていた女性(今の女房)とはどのように別れようかと考えたが、帰国してから、その女子大生とは一度だけ連絡しその後会うことはなかった。イギリスを離れ帰国の途中、アムステルダムとパリに立ち寄った。パリではモンマルトルの丘を訪れ、サクレクール寺院の脇を通り、ムーランルージュを外から眺めていたところに、「卑猥な」日本語を連呼しながら男が近寄ってきた。昼間の2時にまさか危険なこともあるまいとたかをくくってついていくと、キャバレー風の店のドア-の中から女に腕を引っぱられ、背中を男に押されて店の中に入れられた。座らされたソファーの脇に極端なミニスカートの女が身体を密着させて座った。こちらの手を太ももの上に導きながら注文を聞くので「Coke」とだけ言うと、目の前にはコップにただ注がれただけで氷も入っていないコーラが置かれ、女の前にはアイスキューブのバケツの中で冷やされたシャンパンのボトルが置かれた。3メートルほど向こうでは別の女がトップレスで踊り始めた。店内に他に誰も客はいなかった。さすがに置かれている状況の深刻さを感じ5分と経たない時間でコーラを飲み干し、精算するように言うと、確か当時の日本円換算で3万6千円ほどの金額を書いた紙片を持ってきた。貧乏学生がぽんと払える金額ではなく拒否すると屈強な男が二人現れ、腕時計、カメラ、財布・パスポートの入ったバックなど全てとり上げられた。「私は学生です!」と通じたかわからないフランス語を交えて泣き叫んで30分ほど揉みあった後、さすがに大人気ないと感じたのか、腕にわざわざ時計をはめてくれ全てを返してくれた。コーラ代すらとらず開放してくれた。トップレスショー見て、コーラ飲んで「ただ」なら悪い話でもなかったかな、と鼻水すすりながら苦笑いした。帰国後、入院したという3つ年下の早稲田の文学部の学生だった弟を虎ノ門病院に見舞いに行った。まさかそんな深刻な状況とは思わずに原因不明の心臓疾患を患う弟に向かい励ますのでもなく「ひどいやつれた顔してるぞ!」と言い放ってすぐに後悔した。子供の頃、家の前の空き地で遊んでいた時、針金のようなものを振り回しその弟の右の目の下を傷つけた。わずか1-2cm上だったら弟の眼球は傷つけられ失明していたかもしれない。弟の目の下に残った傷跡はその後癒えたが自分の心の傷は時折うずいた。病院でかけた言葉があいつを傷つけたかも知れない。そんな思いを引きずりながら大学に戻り、数ヶ月後の卒業と就職の準備の日々を過ごした。卒業免状を抱えて東京へ戻る途中、両親の過ごした函館に立ち寄り、外人墓地の近くの曹洞宗の寺にまだ置いてあった我が家代々の墓などを訪れた。青函連絡船、急行八甲田を乗り継いで東京に着いたのは電話で母親から弟の病状が結構深刻な状況で予断を許さないとの知らされてから四日も過ぎてからだった。久しぶりの東京の自宅に着いたとき大勢の弔問客が家の前にいる光景を夢のような思いで見た。携帯のない時代、焦燥の明らかな母親は四日の空白を一瞬なじった。前衛的な演劇に傾注し日本演劇大全だかの分厚い本ばかり読んでいた弟は何者かになったのだろうか?死出の旅立ちの白装束、脚半、杖、そんなものをまとっている姿が滑稽で悲しく、一度だけ激しく嗚咽した。>>>社会人編に続く

2006/02/05

ずう~っと隠していたことそろそろ告白します。。。中学/高校編

> 中学に入って入部したバスケットボール部。ちびで体力なく厳しい練習についててゆくのがやっとだった。毎朝、未だ体が目覚めてないのに何故こんな厳しい練習する必要あるんだろう? 怨みながら、泣きながら、体育館の外の隅っこで隠れて何度も吐いた。
> 幼稚園の時のいじめっ子Mくん、小学校は学区が違っていたけど中学に入って同じクラス、しかも同じクラブにはいった。でも、お前、今やオレよりちびじゃん!しかもケロヨンみたいな顔してる。あの時の恐怖の記憶がうそみたいだ。でも、ませているのは、林間学校の枕投げの後、ちんぽこにすっかり毛が生えていること自慢してた。自分はまだうぶげ程度。皆でお風呂入るとき、見られないように前をしっかりタオルで押えた。
> 石坂洋次郎の「あいつと私」がクラスで回し読みされていた。なにかすごいことがかいてあるらしい。そのCircleのなかに入ることは皆に知られちゃまずい。「こぞうさんのようなものが目の前に。。。」読んでいて顔が紅潮するのがわかった。ある日、あのかわいいY江ちゃんが自分の机の前に来て聞いた「Kくんも読んだ?」(あのTの奴がバラしたんだ!)「読んでない」どう取り繕ってもばれるうそだった。Y江ちゃんは「私、読んだよ!」と快活に言って笑った。この時代、女の子は男に比べ、かなりませていた。そのY江ちゃんは、卒業式の時、自分の第二ボタンを要求した。あの男らしくない自分でもよかったんですか?
> 高校は何がしかの進学校でそこのバスケットは弱体だったこともあり、経験者としてすぐ試合に出させてもらえた。体も一年で10CMも15CMも伸びる伸び盛りで体力もついてきた。2年になって先輩が引退していくとエースナンバーを背負って頑張った。周りの思い込みとイメージと実際の自分との乖離を感じながら、さわやかなスポーツマンの自分を演じた。「実際の自分はそんなもんじゃない」と思いながら。。。
> 同じ部活のJ子は暗い影を持った感じの女子高生だった。キャピキャピしたところがなく、常にクールに構えた大人の女性の雰囲気があった。あまり話すこともなく、でもいつも気になっていた。修学旅行の自由行動の時、一緒に京都を歩こうと誘われた。二人きりの行動にためらいはあった。きっと後でうわさになる。でも男の友達に気づかれないように二人で示し合わせて大阪から京都に向かう電車に乗った。ミニスカートの太ももがすごくまぶしくて緊張で体が震えた。
> J子とは卒業前の冬休みに品川にスケートをしに行った。ホテルの脇の街灯の下でキスをした。暖かく柔らかい唇と舌にからまれ、何故だか自分がダメになるみたいな猛烈な自己嫌悪に襲われて、その場から逃げるように帰った。

2006/02/04

簡略化への動機

今週はParis本店から自分のボスが来てランチ、ディナー、ミーティングと大変な一週間で疲れ果てた。でも昨年5月に就任し10月にパリで人事部のGlobal Meetingやったあと真っ先に日本を海外の訪問先に選んでもらったのはありがたい話で日本のオフィスのプレゼンスを大いに示すことが出来た(以上、典型的なサラリーマン的メッセージ)彼女はポーランド生まれの小柄な女性、ご主人はスイスのフランス語圏で生まれた人で長年フランスで日本企業に勤めている。スイスは60%の人口がドイツ語圏で30数%がフランス語、残りの数%がイタリア語や小数民族語を話す人々だとか。最近、生活の周辺では標準的な日本語どころか大阪弁や東北弁まで駆使する「変な外人」がやたらに増えてきたが、国籍と使用言語がミックスした環境は当然ヨーロッパではそんな比ではないだろう。彼女が来ている間、東京オフィスの皆を集めてホテルで新年会パーティーがあったが、オフィスは20ヶ国の外国国籍者が3割を占めている環境なのだから、そんなパーティーに一同が会する光景はなかなか面白く様々な種類の英語や、フランス語、日本語が飛び交う。英語こそ「様々な種類」を実感できるとは言え、フランス語は同じにしか聞こえない。が、連中の中にもベルギー訛りや、スイス訛り、ケベック訛りとかがあるらしい。年配のフランス人は植民地経営の意識の名残か、選民思想か、Bon Francaisという教育的効果か、訛りのあるフランス語を皮肉交じりに表現したりするのを聞くことがある。生活言語としての感覚にまで昇華した「母国語」としてのフランス語ですらそれぞれ違う。「他国語」としての言語での交流の場面では意思疎通の手段として言いたいことが伝わったかどうかが基準で「不自然」だったり文法的にも間違いだったりすることはそれほど誰も気にしない。フランス人の若者と話すと、フランス人の偉いさんの英語のスピーチは何言っているかわからないと揶揄する。フランス語と英語では多くの共通の単語があるから、我々日本人が英語勉強するよりよほど楽なのだろうと思うのだが、同じ単語でも用法の違いで意味が異なることが多いとか。to control を単純にフランス語の不定詞に置き換えてcontrolerとやっても(フランス人の英語の場合は逆)理解が及ばないみたいなことが多いらしく、逆にそれが大きな罠になるとか。語順の問題では英語や同じアジア語の中国語に比べて日本語は全然違うところが日本人の英語学習を困難にしていることの一つの要因だなんて言われる。英語の「I love you」、中国語の「ウォー・アイ・ニー」はSVOだが日本語は「私は あなたを 愛します」でSOV.フランス語はどうかというと「je t'aime」で日本語と同じSOV.フランス語では目的語と言うよりも直接、間接補語というようだが「私は あなたに それを あげます」が「Je vous le donne」と全く同じ語順であるならば我々日本人がフランス語を学ぶことはむしろ英語を学ぶより楽なことなのかも知れないと思ったりする。発音に関しても、フランス語と日本語は極めて似ているとは多くのフランス人が言う。ただし彼らが自慢げに付け足すのは「フランス語の発音の範囲は日本語に近い部分を取り込んでもっと広い」とか。そのフランス人の青年いわく、定冠詞、不定冠詞、名詞、形容詞など多くの品詞で性数の一致を求めらる複雑さについてはフランス人にとっても悩みの種らしく、書いた文章にいつもいくつかの間違いをしてしまうため、必ず読み返して訂正するのが常だとか。間違っても意思は通じるから、この辺について若者の間では簡略化した言葉が語られることも多いとか。。。こんな話聞いていると、今ごろフランス語勉強しようなんて思っているオヤジが間違うのは当然だろう!といった居直りの蛮勇がむらむらと湧いてくる。