代官所跡とか診療所などの昔の建物が今でも使われているが、劣化の激しい場合は内装を変える事はできてもパリの町並み保存条例と同じで表面の景観を乱してはいけない。自動販売機もこのような装い。古い建物を改造したこじゃれたカフェやお土産物屋があり若者が活躍しているようだが、そういった観光名所化が俗化の非難を浴びるのを避けたいのか、保存にかかる努力は保存地区へのアクセスをかなり厳しく制限しようとする。かつてどっと押し寄せた人が汐が引くように少なくなっているとか。観光開発と保存の間でまだ方向が定まりきっていないような印象を受けた。世界遺産としてのこの地域の全体への体感を伴うアクセスがないので感動と説得力がない。見せ方などにもっと工夫が欲しい。
2010/08/20
石見銀山-3
冷房のガンガン効いた建物に入ったかのごとく、坑道の中はとても寒い。石見銀山が何故世界遺産に指定されたかに付いてのガイドのおじさんの説明は、まず銀の埋蔵量、生産量で一時期世界の3分の1を石見銀山が占めていた時期があったこと、にも関わらずあくまでタガネと金槌を持った人の手により採掘が行われた今で云う自然にやさしいエコな方法がアピールしたとか...巨大迷路のような広大な空間を人の手のみにより、絶え間ない出水やろくな照明器具のない暗黒という困難を乗り越えて気の遠くなる膨大な人力と時間が費やされ掘り進められた。一時大阪にも匹敵する人口を抱えたとか、他方坑道内の粉塵などにより肺がやられ住民の多くが若死にした。17世紀になって徳川家康がそれまで権益を握っていた毛利元就からそれを奪い江戸幕府の直轄地にした。毛利は長州に追いやられ、その積年の恨みはニ百数十年後に薩長連合による官軍により徳川幕府が滅亡する歴史につながる。
豊臣秀吉の朝鮮出兵は侵略として、いまだに韓国人から昨日の事のように非難されるが(この感情論はどうかと思うが...)、徳川は開幕後ニ百数十年間朝鮮融和策をとった。その間、朝鮮通信使もたびたび日本を友好的に訪れているし、日朝友好の歴史は案外長い。銀の生産量を飛躍的に高めた精錬技術、灰吹法は江戸時代初期技術力の進んでいた朝鮮半島から学んだものとか...近年日本の技術力が高くて韓国に技術指導したなどと現代やサムソンの勃興に歯がみする論調があるが、元々は朝鮮半島が技術先進国だった。
石見銀山-2
石見銀山-1
皆美さん、すばらしいサービスありがとう!
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