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2010/08/20

石見銀山-5















代官所跡とか診療所などの昔の建物が今でも使われているが、劣化の激しい場合は内装を変える事はできてもパリの町並み保存条例と同じで表面の景観を乱してはいけない。自動販売機もこのような装い。古い建物を改造したこじゃれたカフェやお土産物屋があり若者が活躍しているようだが、そういった観光名所化が俗化の非難を浴びるのを避けたいのか、保存にかかる努力は保存地区へのアクセスをかなり厳しく制限しようとする。かつてどっと押し寄せた人が汐が引くように少なくなっているとか。観光開発と保存の間でまだ方向が定まりきっていないような印象を受けた。世界遺産としてのこの地域の全体への体感を伴うアクセスがないので感動と説得力がない。見せ方などにもっと工夫が欲しい。

石見銀山-4















旅は先を急ぐ必要があったので町並み地区は写真の様な若い日に焼けたお兄ちゃんの自転車の後ろに乗って一回り。この地区出身だが数年間上海にいて最近帰ってきた青年。日本の若者もまだ元気のあるやつがおる。

石見銀山-3















冷房のガンガン効いた建物に入ったかのごとく、坑道の中はとても寒い。石見銀山が何故世界遺産に指定されたかに付いてのガイドのおじさんの説明は、まず銀の埋蔵量、生産量で一時期世界の3分の1を石見銀山が占めていた時期があったこと、にも関わらずあくまでタガネと金槌を持った人の手により採掘が行われた今で云う自然にやさしいエコな方法がアピールしたとか...巨大迷路のような広大な空間を人の手のみにより、絶え間ない出水やろくな照明器具のない暗黒という困難を乗り越えて気の遠くなる膨大な人力と時間が費やされ掘り進められた。一時大阪にも匹敵する人口を抱えたとか、他方坑道内の粉塵などにより肺がやられ住民の多くが若死にした。17世紀になって徳川家康がそれまで権益を握っていた毛利元就からそれを奪い江戸幕府の直轄地にした。毛利は長州に追いやられ、その積年の恨みはニ百数十年後に薩長連合による官軍により徳川幕府が滅亡する歴史につながる。
豊臣秀吉の朝鮮出兵は侵略として、いまだに韓国人から昨日の事のように非難されるが(この感情論はどうかと思うが...)、徳川は開幕後ニ百数十年間朝鮮融和策をとった。その間、朝鮮通信使もたびたび日本を友好的に訪れているし、日朝友好の歴史は案外長い。銀の生産量を飛躍的に高めた精錬技術、灰吹法は江戸時代初期技術力の進んでいた朝鮮半島から学んだものとか...近年日本の技術力が高くて韓国に技術指導したなどと現代やサムソンの勃興に歯がみする論調があるが、元々は朝鮮半島が技術先進国だった。

石見銀山-2















本来、人気集中でかなり前に予約しないと参加できないが、このたびはラッキーにもまだ空きがあるので...と云われて石見銀山最大の坑道跡の大久保間歩、金生坑の一般公開ツアーに参加した。ツアーガイドのおじさんも云っていたが、かつて世界遺産に指定され多くの人が殺到したが, 時が去り、今やどのように集客し管理するかを考えなければならなくなってきたとか...2時間で3,800円のツアー参加費も安いとは云えない。長靴に履き替え、ヘルメットつけて大久保間歩入り口から入坑。外気温30数度のうだるような暑さの中、入り口は地下からの10数度の冷気が吹き出していた。

石見銀山-1















宍道湖の南、山陰自動車道を西へ、出雲に戻り、そこから国道9号線を日本海沿いに更に西進すること2時間、石見銀山世界遺産センターに到着。利用促進のキャンペーンで島根県内の高速道路、山陰自動車道、松江自動車道は利用料タダ!お暑い中、高速出口ではスタッフの方がちゃんとブースにいて、わざわざご丁寧に高速カードを両手で受け取っていただいた上、「タダでございます」と心地よい響きのメッセージを伝えてくれる。島根県って、なんて心の広い良い県なんでしょう!

皆美さん、すばらしいサービスありがとう!















年配のスタッフの肩の力が抜けながらも熟練したサービス。屋上の展望風呂、こじゃれた作りの足湯が中央の吹き抜けにあり、殿方の大浴場、露天風呂も奇をてらわないシックなたたずまい。夕食の会場も趣向に富み、食事もおいしく、なかなか満足度の高い、良い旅館でした。
しかし、今日もあぢ〜!何なんだこの暑さは!でもクーラーの効いたレンタカーでの旅は少なくとも大正解でした。