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2010/08/21

山口 湯田温泉















石見銀山訪問は今回の旅のハイライトだったわけだからある程度時間を費やす予定ではいたが、山口県へ移動し一泊する旅程はちょっと無理があった。しかも日本旅行の窓口のおねえちゃんと山陰往復のお得プランをベースにああじゃこうじゃと議論して付け足してアレンジしてもらったおかげで最後の制約で松江まで戻らなければならない。短い時間で萩や津和野も行こうなどとは実現不可能な考えだった。以前から一度は行ってみたいと思っていた秋吉台、秋芳洞だけは行かねばならない。萩、津和野はぜひNHKの龍馬伝が終わった来年以降に再度訪問することにして、まずは一目散に今夜の宿、湯田温泉ホテルニュータナカへ。

3時間のドライブの後、7時30分に到着。今までとは打って変わってシティーホテル風。オートロックでバスタブもユニットバスではなく良いホテルだ。ただ温泉としては屋上に展望の湯があるだけで、もっと本格的な湯を楽しみたい場合は近くの別の温泉宿にタダで入れる。

道々面白かったのは車のラジオがAMもFMも受信状態が悪くなって聞こえないのに、ダイヤルを回すとやけにはっきりと韓国語の放送が聞こえる。NHKの広島放送局や福岡放送局の電波が届かないのにおそらく釜山辺りの放送局の電波が遮るもののない海を渡ってくる。山陰はやはり色濃く半島からの影響を受けた場所なんだと感じた。

明日8月22日は日韓併合条約がかわされ100年の日とか。新聞では改めてかつて昭和天皇が桓武天皇の妻が百済王の末裔であり、日本の天皇家は韓国にゆかりがあると発言したと報道していた。金達寿に云わせるとゆかりどころではなく、朝鮮半島で長い歴史の中で繰り返される動乱の中で何波にもわたり半島からの移民、時には戦火をのがれたポートピープルが日本列島にやってきた。全国津々浦々に入植者たちゆかりの地名があるとか。多摩とか狛江とか熊とか越とかは高麗、高句麗人、新羅人もある時期多くの人々が日本に移りすんでいるとか。

古事記や日本書紀、神話に描かれた邪馬台国や天皇の起源は意図的なプロパガンダーも含まれているという説もあるが、最近の考古学的発見はどうも卑弥呼の邪馬台国は三輪山周辺のマキムク辺りだった感じになってきた。卑弥呼=天照大神説も有力で伊勢に祭られ、弟のスサノオの子供としての大国主は出雲で国引きをやり、全国の神を統括し、国譲りをした。天武、天智、持統の天皇体制で国家体制、都の整備が進んだが、この時期の人々は朝鮮半島の人たちと同じ言葉をしゃべっていたらしい。ナラ(奈良)が朝鮮古語で国を意味し、オナラで我が麗しい祖国といった意味だったという説を以前呼んだことがある。

聖徳太子がいの一番に強調した事が「和をもって尊しとす」だったという事、また大きな和と書いてヤマトと読ませることの意味はひょっとして、半島時代のいがみ合いや争いはこの新天地の日本では忘れてともに協力して新しい国家の建設に取り組もうというプロパガンダだったのではないか?

派閥争いに明け暮れ、首相がすぐに足を引っ張られ交代する我が国の国民性はひょっとするとずうっと一貫していて、そのためにいざ一大事のときには国民統合の精神的主柱としての中心軸が求められるときがくる。日本は万世一系の天皇が統治した国ではなく、その存在した歴史の圧倒的な時間は「象徴」としての存在でしかなかった。まさにNHKの龍馬伝や年末に第二部の始まる坂の上の雲、篤姫の時代に西欧列強に急速に伍するための富国強兵の国家体制は現人神としての尊王体制をてこに行われるべきとする国家戦略がたてられた。

水戸徳川が水戸学として尊王思想のメッカだったということの意味は勉強不足でよくわからない。大政奉還の際、勝海舟と西郷隆盛は江戸城の無血開城を合意した。最後の将軍徳川慶喜は以降静岡県に自らを幽閉し、武力のみならず政治闘争でも天皇体制に抵抗する事はなかった。家康から始まり、名君慶喜に終わった徳川時代は知性と理性に富んでいた時代のように感じる。

万世一系の天皇というフィクションは明治とともに作られ、神話の初代天皇神武が作られた。神武を祭る神社は明治時代以前は一切なかった。最近読んだ本で、元大蔵官僚のミスター円こと榊原英資は近代文明への開花としての明治は良かったが天皇中心の国粋主義で太平洋戦争に突入した昭和は悪い時代だったとする司馬遼太郎の説を批判し、昭和の天皇軍国主義は明治により準備されたと喝破していた。民主党政権に交代してからの今の政治の停滞が絶対的権力と大政翼賛会的な状況の待望論を促すような状況となりはしないかという危惧を感じる。

車の中で韓国語の放送を聞きながら、今回の山陰の旅計画のいきさつを思い浮かべながら、そんな事をつらつら考えた。