2006/02/19
ずう~っと隠していたことそろそろ告白します。。。大学編
大学受験は端から現役合格は諦めていた。相変わらずスポーツマン気取りで卒業ぎりぎりまで後輩の指導とかでバスケの練習に参加したことは後でその言い訳を用意するためだけでしかなかった。しかもそのころ若い男を陥れる人生の罠が準備されていた。自宅で与えられていた自分の部屋は二階にあり、窓の下には隣の個人医院の広い庭があった。夜の受験生の貴重な学習時間を妨げたのはその庭の大きな池に注ぐ水音でもたまに響く獅子脅しの甲高い音でもなかった。ある夜その庭の対角線の向こう側にある建物の一部屋に電気がつき若い看護婦が華やいだ声で入ってきたのがわかった。開け放たれた窓から白衣を着替える彼女達が良く見えた。部屋の電気を消し身をひそめて待つ日々がしばらく続いた。勉強時間の大幅な減少に危機意識を持ち、卑屈な覗き見の生活に激しい自己嫌悪と憤りを感じ、ある時その庭に向けて「ちきしょう!」と大声で叫んだ。翌日からは看護婦控え室の場所を変えたのかその光景を再び目にすることはなかった。大学は二つ受けた北海道の大学のひとつにかろうじて引っかかり、志望校とはいえなかったが何事も流れに身を任せる性格で、躊躇なく入学した。港町にある大学でヨット部に誘われてはいった。日々合宿がはられる艇庫のあったのは寒村というべき零細な漁業を営む漁民たちの住む村のはずれで、厳しい自然に打ちのめされながら質素な生活を強いられている人々の遊び半分の学生の道楽に注がれる視線が痛かった。大学を留年し、社会人になってしまうことへの覚悟の未成熟な自分に一年の猶予を与えた。アルバイトの日々と貯めたお金を使って3ヶ月ほどのイギリス旅行に行った。オックスフォードでの生活で知り合ったスペインの女性とキスをした。日本から来ていた東京の女子大生とは一時の恋人状態になった。大学に戻った時、付き合っていた女性(今の女房)とはどのように別れようかと考えたが、帰国してから、その女子大生とは一度だけ連絡しその後会うことはなかった。イギリスを離れ帰国の途中、アムステルダムとパリに立ち寄った。パリではモンマルトルの丘を訪れ、サクレクール寺院の脇を通り、ムーランルージュを外から眺めていたところに、「卑猥な」日本語を連呼しながら男が近寄ってきた。昼間の2時にまさか危険なこともあるまいとたかをくくってついていくと、キャバレー風の店のドア-の中から女に腕を引っぱられ、背中を男に押されて店の中に入れられた。座らされたソファーの脇に極端なミニスカートの女が身体を密着させて座った。こちらの手を太ももの上に導きながら注文を聞くので「Coke」とだけ言うと、目の前にはコップにただ注がれただけで氷も入っていないコーラが置かれ、女の前にはアイスキューブのバケツの中で冷やされたシャンパンのボトルが置かれた。3メートルほど向こうでは別の女がトップレスで踊り始めた。店内に他に誰も客はいなかった。さすがに置かれている状況の深刻さを感じ5分と経たない時間でコーラを飲み干し、精算するように言うと、確か当時の日本円換算で3万6千円ほどの金額を書いた紙片を持ってきた。貧乏学生がぽんと払える金額ではなく拒否すると屈強な男が二人現れ、腕時計、カメラ、財布・パスポートの入ったバックなど全てとり上げられた。「私は学生です!」と通じたかわからないフランス語を交えて泣き叫んで30分ほど揉みあった後、さすがに大人気ないと感じたのか、腕にわざわざ時計をはめてくれ全てを返してくれた。コーラ代すらとらず開放してくれた。トップレスショー見て、コーラ飲んで「ただ」なら悪い話でもなかったかな、と鼻水すすりながら苦笑いした。帰国後、入院したという3つ年下の早稲田の文学部の学生だった弟を虎ノ門病院に見舞いに行った。まさかそんな深刻な状況とは思わずに原因不明の心臓疾患を患う弟に向かい励ますのでもなく「ひどいやつれた顔してるぞ!」と言い放ってすぐに後悔した。子供の頃、家の前の空き地で遊んでいた時、針金のようなものを振り回しその弟の右の目の下を傷つけた。わずか1-2cm上だったら弟の眼球は傷つけられ失明していたかもしれない。弟の目の下に残った傷跡はその後癒えたが自分の心の傷は時折うずいた。病院でかけた言葉があいつを傷つけたかも知れない。そんな思いを引きずりながら大学に戻り、数ヶ月後の卒業と就職の準備の日々を過ごした。卒業免状を抱えて東京へ戻る途中、両親の過ごした函館に立ち寄り、外人墓地の近くの曹洞宗の寺にまだ置いてあった我が家代々の墓などを訪れた。青函連絡船、急行八甲田を乗り継いで東京に着いたのは電話で母親から弟の病状が結構深刻な状況で予断を許さないとの知らされてから四日も過ぎてからだった。久しぶりの東京の自宅に着いたとき大勢の弔問客が家の前にいる光景を夢のような思いで見た。携帯のない時代、焦燥の明らかな母親は四日の空白を一瞬なじった。前衛的な演劇に傾注し日本演劇大全だかの分厚い本ばかり読んでいた弟は何者かになったのだろうか?死出の旅立ちの白装束、脚半、杖、そんなものをまとっている姿が滑稽で悲しく、一度だけ激しく嗚咽した。>>>社会人編に続く
2006/02/05
ずう~っと隠していたことそろそろ告白します。。。中学/高校編
> 中学に入って入部したバスケットボール部。ちびで体力なく厳しい練習についててゆくのがやっとだった。毎朝、未だ体が目覚めてないのに何故こんな厳しい練習する必要あるんだろう? 怨みながら、泣きながら、体育館の外の隅っこで隠れて何度も吐いた。
> 幼稚園の時のいじめっ子Mくん、小学校は学区が違っていたけど中学に入って同じクラス、しかも同じクラブにはいった。でも、お前、今やオレよりちびじゃん!しかもケロヨンみたいな顔してる。あの時の恐怖の記憶がうそみたいだ。でも、ませているのは、林間学校の枕投げの後、ちんぽこにすっかり毛が生えていること自慢してた。自分はまだうぶげ程度。皆でお風呂入るとき、見られないように前をしっかりタオルで押えた。
> 石坂洋次郎の「あいつと私」がクラスで回し読みされていた。なにかすごいことがかいてあるらしい。そのCircleのなかに入ることは皆に知られちゃまずい。「こぞうさんのようなものが目の前に。。。」読んでいて顔が紅潮するのがわかった。ある日、あのかわいいY江ちゃんが自分の机の前に来て聞いた「Kくんも読んだ?」(あのTの奴がバラしたんだ!)「読んでない」どう取り繕ってもばれるうそだった。Y江ちゃんは「私、読んだよ!」と快活に言って笑った。この時代、女の子は男に比べ、かなりませていた。そのY江ちゃんは、卒業式の時、自分の第二ボタンを要求した。あの男らしくない自分でもよかったんですか?
> 高校は何がしかの進学校でそこのバスケットは弱体だったこともあり、経験者としてすぐ試合に出させてもらえた。体も一年で10CMも15CMも伸びる伸び盛りで体力もついてきた。2年になって先輩が引退していくとエースナンバーを背負って頑張った。周りの思い込みとイメージと実際の自分との乖離を感じながら、さわやかなスポーツマンの自分を演じた。「実際の自分はそんなもんじゃない」と思いながら。。。
> 同じ部活のJ子は暗い影を持った感じの女子高生だった。キャピキャピしたところがなく、常にクールに構えた大人の女性の雰囲気があった。あまり話すこともなく、でもいつも気になっていた。修学旅行の自由行動の時、一緒に京都を歩こうと誘われた。二人きりの行動にためらいはあった。きっと後でうわさになる。でも男の友達に気づかれないように二人で示し合わせて大阪から京都に向かう電車に乗った。ミニスカートの太ももがすごくまぶしくて緊張で体が震えた。
> J子とは卒業前の冬休みに品川にスケートをしに行った。ホテルの脇の街灯の下でキスをした。暖かく柔らかい唇と舌にからまれ、何故だか自分がダメになるみたいな猛烈な自己嫌悪に襲われて、その場から逃げるように帰った。
> 幼稚園の時のいじめっ子Mくん、小学校は学区が違っていたけど中学に入って同じクラス、しかも同じクラブにはいった。でも、お前、今やオレよりちびじゃん!しかもケロヨンみたいな顔してる。あの時の恐怖の記憶がうそみたいだ。でも、ませているのは、林間学校の枕投げの後、ちんぽこにすっかり毛が生えていること自慢してた。自分はまだうぶげ程度。皆でお風呂入るとき、見られないように前をしっかりタオルで押えた。
> 石坂洋次郎の「あいつと私」がクラスで回し読みされていた。なにかすごいことがかいてあるらしい。そのCircleのなかに入ることは皆に知られちゃまずい。「こぞうさんのようなものが目の前に。。。」読んでいて顔が紅潮するのがわかった。ある日、あのかわいいY江ちゃんが自分の机の前に来て聞いた「Kくんも読んだ?」(あのTの奴がバラしたんだ!)「読んでない」どう取り繕ってもばれるうそだった。Y江ちゃんは「私、読んだよ!」と快活に言って笑った。この時代、女の子は男に比べ、かなりませていた。そのY江ちゃんは、卒業式の時、自分の第二ボタンを要求した。あの男らしくない自分でもよかったんですか?
> 高校は何がしかの進学校でそこのバスケットは弱体だったこともあり、経験者としてすぐ試合に出させてもらえた。体も一年で10CMも15CMも伸びる伸び盛りで体力もついてきた。2年になって先輩が引退していくとエースナンバーを背負って頑張った。周りの思い込みとイメージと実際の自分との乖離を感じながら、さわやかなスポーツマンの自分を演じた。「実際の自分はそんなもんじゃない」と思いながら。。。
> 同じ部活のJ子は暗い影を持った感じの女子高生だった。キャピキャピしたところがなく、常にクールに構えた大人の女性の雰囲気があった。あまり話すこともなく、でもいつも気になっていた。修学旅行の自由行動の時、一緒に京都を歩こうと誘われた。二人きりの行動にためらいはあった。きっと後でうわさになる。でも男の友達に気づかれないように二人で示し合わせて大阪から京都に向かう電車に乗った。ミニスカートの太ももがすごくまぶしくて緊張で体が震えた。
> J子とは卒業前の冬休みに品川にスケートをしに行った。ホテルの脇の街灯の下でキスをした。暖かく柔らかい唇と舌にからまれ、何故だか自分がダメになるみたいな猛烈な自己嫌悪に襲われて、その場から逃げるように帰った。
2006/02/04
簡略化への動機
今週はParis本店から自分のボスが来てランチ、ディナー、ミーティングと大変な一週間で疲れ果てた。でも昨年5月に就任し10月にパリで人事部のGlobal Meetingやったあと真っ先に日本を海外の訪問先に選んでもらったのはありがたい話で日本のオフィスのプレゼンスを大いに示すことが出来た(以上、典型的なサラリーマン的メッセージ)彼女はポーランド生まれの小柄な女性、ご主人はスイスのフランス語圏で生まれた人で長年フランスで日本企業に勤めている。スイスは60%の人口がドイツ語圏で30数%がフランス語、残りの数%がイタリア語や小数民族語を話す人々だとか。最近、生活の周辺では標準的な日本語どころか大阪弁や東北弁まで駆使する「変な外人」がやたらに増えてきたが、国籍と使用言語がミックスした環境は当然ヨーロッパではそんな比ではないだろう。彼女が来ている間、東京オフィスの皆を集めてホテルで新年会パーティーがあったが、オフィスは20ヶ国の外国国籍者が3割を占めている環境なのだから、そんなパーティーに一同が会する光景はなかなか面白く様々な種類の英語や、フランス語、日本語が飛び交う。英語こそ「様々な種類」を実感できるとは言え、フランス語は同じにしか聞こえない。が、連中の中にもベルギー訛りや、スイス訛り、ケベック訛りとかがあるらしい。年配のフランス人は植民地経営の意識の名残か、選民思想か、Bon Francaisという教育的効果か、訛りのあるフランス語を皮肉交じりに表現したりするのを聞くことがある。生活言語としての感覚にまで昇華した「母国語」としてのフランス語ですらそれぞれ違う。「他国語」としての言語での交流の場面では意思疎通の手段として言いたいことが伝わったかどうかが基準で「不自然」だったり文法的にも間違いだったりすることはそれほど誰も気にしない。フランス人の若者と話すと、フランス人の偉いさんの英語のスピーチは何言っているかわからないと揶揄する。フランス語と英語では多くの共通の単語があるから、我々日本人が英語勉強するよりよほど楽なのだろうと思うのだが、同じ単語でも用法の違いで意味が異なることが多いとか。to control を単純にフランス語の不定詞に置き換えてcontrolerとやっても(フランス人の英語の場合は逆)理解が及ばないみたいなことが多いらしく、逆にそれが大きな罠になるとか。語順の問題では英語や同じアジア語の中国語に比べて日本語は全然違うところが日本人の英語学習を困難にしていることの一つの要因だなんて言われる。英語の「I love you」、中国語の「ウォー・アイ・ニー」はSVOだが日本語は「私は あなたを 愛します」でSOV.フランス語はどうかというと「je t'aime」で日本語と同じSOV.フランス語では目的語と言うよりも直接、間接補語というようだが「私は あなたに それを あげます」が「Je vous le donne」と全く同じ語順であるならば我々日本人がフランス語を学ぶことはむしろ英語を学ぶより楽なことなのかも知れないと思ったりする。発音に関しても、フランス語と日本語は極めて似ているとは多くのフランス人が言う。ただし彼らが自慢げに付け足すのは「フランス語の発音の範囲は日本語に近い部分を取り込んでもっと広い」とか。そのフランス人の青年いわく、定冠詞、不定冠詞、名詞、形容詞など多くの品詞で性数の一致を求めらる複雑さについてはフランス人にとっても悩みの種らしく、書いた文章にいつもいくつかの間違いをしてしまうため、必ず読み返して訂正するのが常だとか。間違っても意思は通じるから、この辺について若者の間では簡略化した言葉が語られることも多いとか。。。こんな話聞いていると、今ごろフランス語勉強しようなんて思っているオヤジが間違うのは当然だろう!といった居直りの蛮勇がむらむらと湧いてくる。
2006/01/29
Paris出張-4

メルキュールホテルにはラ・デファンスの駅から歩いて15分ほどで着いた。一口に徒歩15分といっても簡単ではなかった。早朝、未だ暗い中、しかもそもそも駅からどうやって行こうにも、不親切な本店のスタッフから地図をもらっているわけでもなく、どっちの方向に向かっていくかすらもわからない。途方にくれて、とうとう「それじゃあ、タクシーでビューンと飛ばしていきゃあいいじゃん!」との誘惑がまたまた頭をもたげたわけだが、どっちにしても予定は招待されたディナーに参加するため夕方6時に本社ビル横に集合すればいいわけだから、まだ時間は十分過ぎるくらいある。歩きを決め込んだところで駅のキオスクみたいなところに新聞運んでいるおにいちゃんにつたないフランス語で道を聞いてみる。ベトナムとか中国とか観光で行く時は現地語わかるわけもなく、旅行会社のパッケージツアーに参加するに越したことはないとはいえ、ニューヨークやロンドンなどに仕事で行く際は地下鉄だろうが、バスだろうがタクシーだろうが問題を感じたことはないが、相手がフランスだと庶民のレベルでは英語は一言たりとも通じない。我がフランス語は何とか通じているようでも肝心のメルキュールホテルがわからないので地図みせるから着いて来いとのこと。簡単とはいえ、その間のコミュニケーションをフランス語で行っている自分にちょっとだけ感動した。仕事では4つ星、五つ星に慣れてる身にとっては3つ星程度のホテルに泊めやがって!だから聞いてもわかんないんだろう!などと逆怨みしながらもホテル到着。早朝のチェックインを詫びながら部屋に入り、まず一ッ風呂。シンガポールから来ているはずの気の置けない同僚WM Weeを呼び出して夕方6時までの時間「市内観光見物」を決め込んだ。
2006/01/22
ず~っと隠していたことそろそろ告白します。。。幼稚園/小学校編
> 幼稚園梅組の時の小室先生、好きでした。ブランコで落ちてひじをすりむいて血が出た時、いきなり消毒!とか言って口に含んでなめてくれた。あなたのあの時の唇の温かさが今でも忘れられません。> 幼稚園の時、泣き虫だった自分をいつも助けてくれた成田くん。かけっこが速くてかっこよかった。ありがとうってお礼言いたかったのに、なんか恥ずかしくてとうとう卒園まで言えなかったこと後悔してます。
> 小学校1年生の最初にとなりの席に座ったN。Atsukoちゃん、色黒で、髪の毛がちょっとカールした天然パーマでかわいかった。話し掛けてくれるのにいつも返事しなくてごめん。本当は楽しく話したかったんだけど、そんなことしたら男の子の友達に笑われてしまう。
> 小学校1年から3年までの担任の佐藤先生。ちょっとO脚、ガ二股だったけど、その色白美人のひたむきな印象が忘れられません。幼稚園の小室先生と離れ離れになって悲しかったのに、やさしい先生で良かった。言えなかったけど好きでした。
> でも、いつも優等生って扱ってくれてたのに、算数の問題を勘違いして前の黒板で間違えて答えてしまった時、なぜあの生意気なK子をあて、見事にこたえさせるチャンスを与えたのですか?それから3日は立ち直れなかった。でも学校では言えなかった。
> 何で学校のトイレでうんこする奴のことみんなでからかうんだ?お前らみんなうんこしないの?でもからかわれたら嫌だから、しょうがないので校庭の裏のコークス置き場の脇で、した。その後誰が、いつ処理したかわからない。卒業までそこの場所に行かなかった。
> 小学生の高学年で、もうおっぱいが大きくなってきたみたい。T Junkoちゃん、きみのこと見てるとなんか胸が詰まってきた。これってきっと「恋」です。だってずうっと考えてしまいます。でも、男の子の友達の手前、絶対言えない。からかわれるの見えてる。勉強も出来て、胸はって、りんとしたあなたの姿は今でも思い出します。
=>中学校/高校編に続く。。。
> 小学校1年生の最初にとなりの席に座ったN。Atsukoちゃん、色黒で、髪の毛がちょっとカールした天然パーマでかわいかった。話し掛けてくれるのにいつも返事しなくてごめん。本当は楽しく話したかったんだけど、そんなことしたら男の子の友達に笑われてしまう。
> 小学校1年から3年までの担任の佐藤先生。ちょっとO脚、ガ二股だったけど、その色白美人のひたむきな印象が忘れられません。幼稚園の小室先生と離れ離れになって悲しかったのに、やさしい先生で良かった。言えなかったけど好きでした。
> でも、いつも優等生って扱ってくれてたのに、算数の問題を勘違いして前の黒板で間違えて答えてしまった時、なぜあの生意気なK子をあて、見事にこたえさせるチャンスを与えたのですか?それから3日は立ち直れなかった。でも学校では言えなかった。
> 何で学校のトイレでうんこする奴のことみんなでからかうんだ?お前らみんなうんこしないの?でもからかわれたら嫌だから、しょうがないので校庭の裏のコークス置き場の脇で、した。その後誰が、いつ処理したかわからない。卒業までそこの場所に行かなかった。
> 小学生の高学年で、もうおっぱいが大きくなってきたみたい。T Junkoちゃん、きみのこと見てるとなんか胸が詰まってきた。これってきっと「恋」です。だってずうっと考えてしまいます。でも、男の子の友達の手前、絶対言えない。からかわれるの見えてる。勉強も出来て、胸はって、りんとしたあなたの姿は今でも思い出します。
=>中学校/高校編に続く。。。
2006/01/21
Paris出張-3

メトロの階段を降りてチケット買い、ホームへ。酔いが覚めかけた身に寒さがしみる。重い荷物を持っての移動が辛い。やっぱタクシー使ってビューンと来るのが正解だったのだろう。ラ・デファンス・グランダルシュの駅は地下鉄1号線の西の終点、東西に走るセーヌ川がパリの西部でぐるっと迂回して南北になりそれを横断した向こう側にある。建築物の外観や高さの制限のあるParis市内と違い、New YorkやToronto並みの高層ビルが立ち並び、風景が一変した。今、手元の地図で見てみるとParisは北緯49度あたりに位置する。日本の稚内よりももっと北にあるため、もう朝7時を回るというのに外はまだ暗い。ほんの数分前に地下鉄の乗車駅Etoileで見た重厚な歴史的建造物たる凱旋門と降車駅の目の前にあるコンクリート作りの新凱旋門とのコントラストが面白い。
2006/01/16
Paris出張-2

Parisのシャルル・ドゴール空港に着いたのは早朝4:30amを回った頃。10月の最後の週だったけど、その頃はサマータイムは終わっていたんだっけ?だとすると東京とは時差8時間、正午を回った頃。エアーフランスの機内のビデオのプログラムの貧弱さに憤りを感じ(ビジネスクラスだぞ~!)、仕返しに(笑)たんまりボルドーのワインをお代わりしたもんで、頭は二日酔い(?)でガンガンしてる。。。。というかまだほとんど酔ってる!さて、これからパリ市内に入り、西の端のラ・デファンスのホテルまで行くわけだが、前回はオペラの近くのホテルだったのでロワシー・バスで7,8ユーロくらいで行けた筈だし、今回はどうしよう?いつものことで行き当たりばったりで何の下調べもしてないけど、いざとなればタクシー飛ばしていけばいいわけだし。。。などともうろうとした頭で考える。しかし待てよ!!!!!手元には現地通貨、すなわちユーロが一銭(?)もない!成田出発の時買い物して店に置き忘れ、出発のゲートまで持ってきてもらったりのドタバタで飛行機に滑り込む失態をした為、両替する時間がなかったこともあったけど、レートがいいという理由で、いつも両替は現地へ着いてからにしているが、両替所が6時近くまで開かない!どうする?どうしたらいいの?なんだか訳わからなくなったところで、開いてた案内所のお姉ちゃんにクレディットカードのキャッシングマシーンの場所教えてもらう。ヨーロッパ旅行ではこれがちゃんと助けてくれる。VISAカードでキャッシングし、いざタクシー乗り場へ!でもタクシー乗っていくと着くのが早すぎなんじゃないの?せっかくだから時間もあることだし「ちょっと苦労して」行ってもいいかな?と、言うことでエールフランス・エアーポートバスの5:45の始発待って、凱旋門のあるシャルル・ド・ゴール・エトワールへ。バス代10ユーロくらいだっけ?タクシー使えば50ユーロくらいで快適に目的地のホテルまで行けるのに!でもなんだか今回はその安直なやり方が嫌だった。早朝の凱旋門見ながらメトロの入り口に入っていく。時間はもうすでに6:30amを回っていた。
2006/01/15
こだわりの血液型性格診断-国際比較
能見俊賢氏の日本の血液型性格診断の草分け、ブームの火付け役とかだそうだが、氏のホームページABO World(http://www.abo-world.co.jp/index2.html)は血液型性格診断に付きそれはあくまで統計を根拠にした科学的プローチだとしているが、そのかぎりでは共感できそう。その背景に何がわかるのかはわからないけど世界の各国の血液型比率の資料はなかなかおもしろい。氏によると。。。欧米の白人を中心にした文明国のほとんどは、O型とA型で90%前後を占めているんです。森林と山岳地帯の多いヨーロッパで生きぬく遺伝子として、A型物質が発生し人類の基本形としてのO型と混血した結果でしょうか。それに比べて、東洋文明圏と言われる幅広い地域、中央アジア、東南アジア、イスラムの西アジア、アラブ、そしてインドなどの国々になるとB型比率がグンと高くなります。草原や砂漠、だだっ広い荒野で集団を維持していく性能が、情報収集力や機動性に富んだ柔軟思考のB型物質を生んだのかも知れませんね。 O型とA型の組み合わせが発展させた西洋文明と、O型とB型中心に発展した東洋文明は、それぞれの感性を磨きながら、独特の思想や習慣で文化を創ってきたんです。東西文明の交流が、より多彩な文化を生んできた反面、不可解で相入れない争いごとをくり返してきた歴史でもあります。東西の民族的な混血は、まだまだ部分的ですから、OAグループとOBグループの結びつきで生まれるAB型は、世界的に少数で、日本や韓国みたいに10%前後もいるのは珍しいくらいです。こんな国は、当然ながら4つの血液型がまんべんなく関わり合う社会だから、人間性の総合的な理解と調整を考える上で、またと無い“実験場”と言えるかも知れません。
世界の血液型分布 国名 O(%) A(%) B(%) AB(%)
北アメリカ カナダ 41 45 10 4アメリカ合衆国 45 41 10 4メキシコ 84 11 4 1グァテマラ 95 3 2 0エルサルバトル 60 26 11 3ニカラグア 92 7 1 0コスタリカ 53 31 13 3キューバ 49 36 12 3ジャマイカ 56 20 21 3ドミニカ共和国 53 31 13 3ハイチ 51 27 18 4プエルトリコ 47 30 13 10南アメリカ コロンンビア 62 27 9 2エクアドル 63 29 6 2ペルー 71 19 9 1チリ 56 31 10 3ボリビア 93 5 2 0ブェネズエラ 44 37 14 5ブラジル 48 39 10 3アルゼンチン 48 39 10 3パラグアイ 56 34 9 1ウルグアイ 45 42 10 3オセアニア オーストラリア 47 40 10 3ニュージーランド 48 40 9 3アイスランド 56 32 10 2ヨーロッパ アイルランド 54 33 10 3イギリス 47 41 9 3(スコットランド) 51 35 11 3(イングランド) 46 43 8 3ノルウェー 39 49 8 4スウェーデン 38 47 10 5フィンランド 33 42 18 7デンマーク 42 44 10 4オランダ 45 43 9 3ベルギー 46 43 8 3フランス 43 45 9 3スペイン 42 45 9 4ポルトガル 41 48 8 3ドイツ 38 43 13 6オーストリア 39 44 13 4スイス 42 47 8 3イタリア 45 40 11 4(北イタリア) 42 43 11 4(南イタリア) 46 35 15 4チェコスロバキア 33 41 18 8ハンガリー 30 43 19 8*ジプシー 30 25 36 9ポーランド 35 38 19 8ユーゴスラビア 37 42 14 7ルーマニア 34 45 17 7ブルガリア 32 44 16 8アルバニア 42 36 17 5ギリシア 43 39 13 5NIS諸国 ロシア連邦 (中央) 32 28 31 9(シベリア) 39 25 29 7(ロシア) 34 35 23 8(コーカサス) 44 32 20 4グルジア 50 36 11 4アルメニア 29 50 13 8ア ジ ア キプロス 35 46 13 6トルコ 33 45 15 7イラン (西北) 36 33 24 7(東南) 42 26 25 7(中東) 31 25 34 10イラク 35 31 26 8クウェート 47 24 24 5レバノン 36 47 12 5イスラエル 36 41 17 6パキスタン 31 25 34 10アフガニスタン 29 25 36 10インド (西北) 29 21 41 9(東北) 32 25 36 7(中南) 37 22 34 7スリランカ 47 22 26 5ミャンマー 35 25 32 8タイ 39 22 33 6マレーシア 38 25 29 8フィリピン 45 26 24 5ベトナム 42 22 31 5カンボジア 39 23 35 3中華人民共和国 (華南) 44 27 23 6(華北) 33 30 29 8(華中) 35 32 26 7(香港) 44 24 26 6(マカオ) 40 25 28 7(チベット) 30 37 24 9台湾 44 27 23 6ネパール 30 37 24 9モンゴル 37 22 34 7大韓民国 27 32 30 11日本 31 38 22 9インドネシア (スマトラ) 41 23 30 6(ジャワ) 37 26 29 8ア フ リ カ エジプト 34 34 24 8リビア 40 36 19 5チュニジア 46 31 18 5アルジェリア 44 39 13 4モロッコ 37 34 23 6エチオピア 47 28 21 4ソマリア 58 26 13 3チャド 45 27 26 2セネガル 50 25 21 4リベリア 46 25 24 5ガーナ 49 22 25 4ナイジェリア 52 カメルーン 54 22 21 3コンゴ民主共和国 49 27 20 4ギニア 64 17 17 2アンゴラ 49 25 22 4ウガンダ 49 23 23 5モザンピーク 57 23 17 3マダカスタル 43 23 28 6南アフリカ共和国 45 35 16 4ケニア 49 26 22 3ザンビア 45 25 27 3
自分が注目したのはインド、パキスタン、アフガニスタンのB型が多いこと。大雑把に言って欧米、アフリカが圧倒的にO型が多いのにそれ以東はO,A,Bがほぼ均等に分布しているように見える。フィリピンは19世紀末のスペインの進出があったから欧米型でO型が多いのか。。。イヴ・コバンというフランスの古人類学・先史学の先生が「前人類が誕生して、直立二足歩行を始めたのは、アフリカ大地溝帯の東側の気候が乾燥し森林が草原に変わったせいだ」という仮説を出している。要するにアフリカの東側で造山運動により東と西に森林が分けられ東側がサバンナになってしまったので木の上にいたサルが歩き始めた。。。みたいな説のようだが、そこが全てのルーツでその後人類は世界へ広がり、北へ向かう連中、東へ向かう連中がいたのだとすると、インド、パキスタン、アフガニスタンで獲得したB型が東のアジアに広がったみたいな流れだったんじゃないのだろうか?興味深い統計だけど、結局何もわからない。。。
世界の血液型分布 国名 O(%) A(%) B(%) AB(%)
北アメリカ カナダ 41 45 10 4アメリカ合衆国 45 41 10 4メキシコ 84 11 4 1グァテマラ 95 3 2 0エルサルバトル 60 26 11 3ニカラグア 92 7 1 0コスタリカ 53 31 13 3キューバ 49 36 12 3ジャマイカ 56 20 21 3ドミニカ共和国 53 31 13 3ハイチ 51 27 18 4プエルトリコ 47 30 13 10南アメリカ コロンンビア 62 27 9 2エクアドル 63 29 6 2ペルー 71 19 9 1チリ 56 31 10 3ボリビア 93 5 2 0ブェネズエラ 44 37 14 5ブラジル 48 39 10 3アルゼンチン 48 39 10 3パラグアイ 56 34 9 1ウルグアイ 45 42 10 3オセアニア オーストラリア 47 40 10 3ニュージーランド 48 40 9 3アイスランド 56 32 10 2ヨーロッパ アイルランド 54 33 10 3イギリス 47 41 9 3(スコットランド) 51 35 11 3(イングランド) 46 43 8 3ノルウェー 39 49 8 4スウェーデン 38 47 10 5フィンランド 33 42 18 7デンマーク 42 44 10 4オランダ 45 43 9 3ベルギー 46 43 8 3フランス 43 45 9 3スペイン 42 45 9 4ポルトガル 41 48 8 3ドイツ 38 43 13 6オーストリア 39 44 13 4スイス 42 47 8 3イタリア 45 40 11 4(北イタリア) 42 43 11 4(南イタリア) 46 35 15 4チェコスロバキア 33 41 18 8ハンガリー 30 43 19 8*ジプシー 30 25 36 9ポーランド 35 38 19 8ユーゴスラビア 37 42 14 7ルーマニア 34 45 17 7ブルガリア 32 44 16 8アルバニア 42 36 17 5ギリシア 43 39 13 5NIS諸国 ロシア連邦 (中央) 32 28 31 9(シベリア) 39 25 29 7(ロシア) 34 35 23 8(コーカサス) 44 32 20 4グルジア 50 36 11 4アルメニア 29 50 13 8ア ジ ア キプロス 35 46 13 6トルコ 33 45 15 7イラン (西北) 36 33 24 7(東南) 42 26 25 7(中東) 31 25 34 10イラク 35 31 26 8クウェート 47 24 24 5レバノン 36 47 12 5イスラエル 36 41 17 6パキスタン 31 25 34 10アフガニスタン 29 25 36 10インド (西北) 29 21 41 9(東北) 32 25 36 7(中南) 37 22 34 7スリランカ 47 22 26 5ミャンマー 35 25 32 8タイ 39 22 33 6マレーシア 38 25 29 8フィリピン 45 26 24 5ベトナム 42 22 31 5カンボジア 39 23 35 3中華人民共和国 (華南) 44 27 23 6(華北) 33 30 29 8(華中) 35 32 26 7(香港) 44 24 26 6(マカオ) 40 25 28 7(チベット) 30 37 24 9台湾 44 27 23 6ネパール 30 37 24 9モンゴル 37 22 34 7大韓民国 27 32 30 11日本 31 38 22 9インドネシア (スマトラ) 41 23 30 6(ジャワ) 37 26 29 8ア フ リ カ エジプト 34 34 24 8リビア 40 36 19 5チュニジア 46 31 18 5アルジェリア 44 39 13 4モロッコ 37 34 23 6エチオピア 47 28 21 4ソマリア 58 26 13 3チャド 45 27 26 2セネガル 50 25 21 4リベリア 46 25 24 5ガーナ 49 22 25 4ナイジェリア 52 カメルーン 54 22 21 3コンゴ民主共和国 49 27 20 4ギニア 64 17 17 2アンゴラ 49 25 22 4ウガンダ 49 23 23 5モザンピーク 57 23 17 3マダカスタル 43 23 28 6南アフリカ共和国 45 35 16 4ケニア 49 26 22 3ザンビア 45 25 27 3
自分が注目したのはインド、パキスタン、アフガニスタンのB型が多いこと。大雑把に言って欧米、アフリカが圧倒的にO型が多いのにそれ以東はO,A,Bがほぼ均等に分布しているように見える。フィリピンは19世紀末のスペインの進出があったから欧米型でO型が多いのか。。。イヴ・コバンというフランスの古人類学・先史学の先生が「前人類が誕生して、直立二足歩行を始めたのは、アフリカ大地溝帯の東側の気候が乾燥し森林が草原に変わったせいだ」という仮説を出している。要するにアフリカの東側で造山運動により東と西に森林が分けられ東側がサバンナになってしまったので木の上にいたサルが歩き始めた。。。みたいな説のようだが、そこが全てのルーツでその後人類は世界へ広がり、北へ向かう連中、東へ向かう連中がいたのだとすると、インド、パキスタン、アフガニスタンで獲得したB型が東のアジアに広がったみたいな流れだったんじゃないのだろうか?興味深い統計だけど、結局何もわからない。。。
2006/01/11
ピアノを楽しむ-まずは「決意表明」
ピアノは人に聞かせるものじゃなく自己陶酔出来ればいい!とて10年ほど前にほぼ4年ほどの間、気が狂ったように入れ込んだことがあった。中年の根気を維持するためには、伝統的、本格的テキストはとっつき難く、当時はやった「大人のピアノ」なるコンセプトのテキストや曲集買いあさって夜、家に帰ると食事もそこそこに、土日は朝から晩までピアノの前に、家族の非難を尻目に座り続け、ついに椎間板ヘルニアで入院することになってしまった。会社でも座って一日PCに向かい、家でも座り続けでは腰を痛めない訳が無く、「自業自得!」とかの女房の言葉に反発しつつも、ちょっと無茶しすぎたかなと反省。ようやく最近は少しはゴルフも出来るようになり、今度はまたピアノを少し始めてみようかなと思い始めた。「大人のピアノ」のテキストによるとBeyerを卒業したことになっているが、また一からの総復習から始めよう!中年から始めた者にとっては最も困難な課題は第4指と第5指の強化だが、考えてみるとHanonの勉強って老化防止には理想的なんじゃないだろうか?ここで出来るMaxの期間10年を設定したけどTargetは何かと言われてもはっきりしない。死ぬまでがこの「夢ブログ」の期間です。
2006/01/09
Paris出張-1

稚拙な英語のせいなのか内容があまりにもくだらないからなのか、英語で書き続けてきたBlogでしたが、ほとんど誰からの反応もないことのむなしさを痛感し、方針転換で日本語で行くことに。。。でもせっかくだからたまに英語で書いてみたらInternationalなリアクションが期待できるかも。。。ということで何の根拠も基準も無く、気分次第で日本語だったり英語だったりで更新します。近い将来フランス語でもいくかも。。。もし読んでくれて何かコメントいただけるときも仁義無く何語でいただいてもかまいません。
。。。ということで久しぶりの更新ですが、相変わらず箸にも棒にも掛からないくだらないテーマで先日10月の最後に行った一年ぶりのParis本社出張を何度かに分けてご報告させていただきます。写真は成田出発の後AirFranceの飛行機上の人となり見た窓の雲。Serveされたワインでほろ酔いになってはまさに天国とはこのことかという感慨でした。
Subscribe to:
Comments (Atom)
