朝起きて朝日新聞をざっと見ているとこんな記事が。「愛犬探して598日」捨てられた犬の里親を探して救い出す市民団体「ちばわん」のメンバーの船橋市の吉田さんが病気を治して市原市の里親に渡した犬ミルコが迷子になり、必死に探した598日間の後、市川の別の家で優しく別の名前ユキとして飼われていたという感動の美談。
ここで一面に戻ってさっき気になっていた「天声人語」をじっくり読み始めた。読み終えた瞬間のこの身の置き所のなさというべきか、なんかつかみ所のない混乱が頭を満たす。ちょっと長くなるがなかなかの名文なので」全文転載ご免!
...........................本日の「天声人語」から
生き物の最期は大きく二つに分けられる。餌になり、いわば死ぬことで生かされるか、食われぬまま衰えていくか。そしてわずかながら、食べられもせず衰えることもなく、人の手で滅ぶ命がある▼無益な殺生とは限らない。森や田畑を荒らす「害獣」も、捕らえた多くは燃やすか、埋めるかしているそうだ。これを食肉として利用する動きが、国や自治体の音頭で広まっているという記事を読んだ。野の命を生かす試みである▼動物による農作物の被害は、全国で年に200億円。人が育てたようなものだから、シカやイノシシを食べる権利は大いにあろう。いのしし課を置き、専門の処理施設を設けた佐賀県武雄市では、「とっしんカレー」などの加工品が好評と聞く▼「ジビエほどフランス人の食欲を強く刺激するものはない……数多くのクラシックな食材のなかでも本命中の本命である」(宇田川悟『フランス料理は進化する』文春新書)。狩猟の民の末孫たちは、ジビエ(野生の鳥獣)が出回る秋を待ちこがれ、野趣あふれる煮込みに舌鼓を打つ▼獣肉が長らくタブー視された日本でも、養生になることはよく知られ、薬食いと称して食べていた。江戸川柳に〈雪の日の七輪に咲く冬牡丹(ぼたん)〉がある。イノシシは牡丹、シカは紅葉。先人の粋な言い換えは、和製ジビエの旨(うま)さの証しかもしれない▼動物だって、ゴミではなくごちそうとして昇天したかろう。クジラにマグロと、海では押され気味の食文化である。自然への礼を尽くすためにも、山の恵みを無駄なく味わいたい。
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一方で野良犬っだった時、膀胱結石を二回の手術で治してもらい、悪い足に靴を履かせてもらい、さらに迷子になっても新たな愛情に巡り会い生かされた動物がいて、他方ジビエとして舌嘗めずりの対象となり「食われて生かされる」動物たちがいる。そのコントラストからは、どうも人間の言い分は論理的というよりも手前勝手なご都合主義的に聞こえてしまう。....................................


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