2009/08/01
横浜 & 横須賀
そういえば昔、”。。。港のよーこ横浜、横須賀あ〜。。。”とかいう歌があったけど横須賀はほとんど行ったことがない。二週間の夏休みの初日の8月1日、Navy Friendship Dayの米軍基地内をめぐる一日バスツアーに行った。”思いやり予算”とはよく言ったもので米軍横須賀基地内はプールもありいの広大な敷地に快適な空間だ。チームDS63のmade in usa のNavy Cap買って、どでかいステーキ食って、アメリカ文化薫る町並みを歩いて、異文化をあまりに簡単に受け入れる自分の無原則さに我ながらあきれながらも楽しい一日だ。比べると貧弱なたたずまいの隣接の海上自衛隊の基地ではイージス艦や氷裂船しらせを初めて見た。日露戦争時活躍した三笠の中を見学。NHKで年末に始まる坂の上の雲の先取りでなかなかタイムリー!横浜の中華街に立ち寄り飲茶でビールで締めて、近隣バスツアーとしては大満足の一日でした。
2009/07/07
Ms.K & Erika and GS friends
2009/06/23
2009/06/03
パリ界隈 - オープンカフェ
2009/03/10
2009/03/09
2009/03/08
2009/02/16
読書は一冊のノートにまとめなさい by 奥野宣之
前作の「情報は一冊のノートにまとめなさい」は昨年6月頃に読んで、その後楽しくノートを増やしてきた。
そこではノート上の情報にデジタルの検索機能を組み込んで「情報活用」するためのテキストエディター(のちに著者はエクセルに変えたようだが)の利用のすすめがあったが、情報を「活用」しそこから何かを「生産」することを考えない、かつ蓄えるべき情報量もたかが知れている(月100円ノート一冊程度)一般読者にとってはたまに実物を見返す程度で十分だと感じた。あるいはそのような許容のあるゆるいノウハウとして優れていると思った。
2008年12月に発行された続編のこの「読書は----」の失敗は(この著者に失礼な断定はあくまで自分にとってという意味で単なる偏見ではあるが...)「一冊のノート」という痛快な方法論でありながら読書を「財産」とする、すなわち著者の考えでは「活用」し、そこから「生産」するために読書のプロセスをマネージする手段とすること、すなわち1)探す、2)買う、」3)読む、4)記録する、5)活用する とする「読書のフローを仕組化する」手段にしようとする。どうも自分にとっては職業的な知的生産の技術と見えて、一般人の読書体験とは違いがあるなと感じてしまう。
新聞の書評欄で偶然発見したり、昼休みや仕事帰りの本屋を逍遥して衝動買いし出会う名作や駄作。本もまた百代の過客にして行きかう旅人のようなものなんだから、あまりシステム化してギシギシしないのが大事だと思う。でもゆるゆるでもいいから読書体験を人生の「財産」とするのは?
この本にも書かれているし、世の多くのブロガーが実践されているわけだが、週1-2冊程度を乱読する程度の自分ができることとしてブログの活用!、週末PCに向かって、くだらない本も含めてその週読んだ本とかその他本にまつわる雑記ができたら、週末ブロガーにはリズムもテンポもちょうどよく最高じゃん!となったわけです(このブログを始めた経緯が今、解き明かされた! ウルサイ!大袈裟だ! /ペチ!)
2009/02/15
我が手抜き手帳
結局のところ、「情報は---」の推奨する100円のコクヨのA6ノートと同カレンダー,A7サイズのポストイットを無印良品で買った同サイズのケース(これはゴムが付いていてノートがどんなに分厚くなっても束ねられるのがいい!)に入れて使っている。
ボールペンがよく落ちるので文房具屋で見つけたボードに付けて使う伸び縮みするゴムの紐を付ける。
これは手作りではなく手抜き手帳です。でもスクラップ帳のようになんでもすべて貼ってあって、どんな過去の思いつきもこの手帳に行けば必ずあるという安心感がある。
2009/02/11
情報は一冊のノートにまとめなさい by 奥野宣之
いくつかを試し必ず三日坊主で破たんする経験を繰り返し、いくつか自分なりの教訓としたことがある。
* 公私を分けない! 仕事にどっぷりつかって自由な人生を台無しにしろということではなく、仕事だプライベートだということで時間や情報を分離してしまうと整合性を失い、かえって混乱し公私混同のもとになる。ストレス社会において明確なクリヤーカットをして生活のチェンジを保障しながらも人生豊かに生きようということであるならば時間管理、情報管理は公私を一緒にする。
* 誰かが提唱する手帳術はその方の人生哲学であり、その限りは尊敬のまなざしで鑑賞させていただくが決してその提唱する手帳を買ってそのとおりに実践してみたりしない。営業妨害するつもりはないが近くに寄り添いすぎると反発を感じ始めるのは男女の関係に限らず人生の真理。ヒントはいただきながらも自分の手で自分の体温を感じるものを作ることが大事。
通勤途上の本屋の入口にこの本のわかりやすいタイトルを大書きしたポスターが貼ってあった。当然のように手を伸ばし、当然のように買って、当然のように腑に落ちてしまう本だった。
一般の手帳はページ数と各日にちの配分が決められていることに問題があった。公私にかかわらないどんなテーマの情報でも感じたことでも、それらがどんな分量でも、新聞の切り抜きだろうが、ゴルフのスコアー票だろうが全部 yymmdd の六つの数字の日付のコードを付けて(この提案そのものは後日紹介する都市設計家の山田雅夫氏もすでに言っていたことで新味はないが。。。)バケツに放り込むように時系列でぶち込んでしまう!そのための中心ツールが100円で売っているコクヨのA6判のノートだというのだからある意味痛快この上ない提案。切り貼りしたり、そのためのノリやハサミや付箋のこだわりを持てたりとローテクならではの手作り感を楽しめる方法論だというところもいい。
昨年6月頃から初めてもう何冊かになるが、見返すのも楽しみで脳のシナプスの形成にも貢献しているような感覚を持てる。
2009/02/02
2009/02/01
2009/01/31
生物と無生物のあいだ by 福岡伸一
福岡伸一先生との衝撃的出会いを作ってくれたこの本。近年では音楽の世界のMISIAとともに一生ついていきたいと思わせる分子生物学者。
本の帯に書かれている「読み始めたら止まらない 極上の科学ミステリー 生命とは何か?」は決して誇張ではない!なんといっても文章がうまくその展開力がすごい!文章のリズム感で次の展開がわくわくどきどきすることで難しい話がいつの間にかわかった気にさせられる。
本書の各章は興味深い分子生物学史というべき内容だが、その前後を卓越なるプロローグとエピローグが挟んでいる。
プロローグは言う。水辺の糸くずと思ったものが魚の稚魚だった。生物と見えて無生物であるもの。その逆のものがいっぱいある。いったいそもそも生物とは何か?20世紀の生命科学が到達したひとつの答えが「それは自己複製を行うシステムである」としている。1953年にDNAの二本のリボンの二重ラセン構造モデルが科学論文に発表された。生命の自己複製システムがそこで天啓のように示されて以来、生命は精巧な分子機械であるかのように遺伝子操作技術が誕生し、分子生物学が発達した。もし生命が精巧な分子機械であるとする単純な考えが正しかったとするならば、あるマウスの遺伝子を人工的に欠落させること(ノックアウトマウスという)で現れる異常を観察することでそれぞれの遺伝子の役割を単純に特定できるはず。しかし実際の生命体はこの考えや期待を超え、欠損を他が補う「動的平衡体」としての本質を持つという。本章の中で海岸の砂浜の砂は常に寄せては去り、入れ替わっているのに海岸の形状の変化は大きな時間の流れの中でしか認識されないように生命体もその細胞を常に入れ替え、全体の動的平衡が維持されていると説明される。
文学的にも質の高いエピローグの文章は、自らの少年時代の回顧エッセー。完成された動的均衡としての生命の原理、その環境との相互作用という神の意志というべき大きな自然の流れの前に人と科学はひざまづき、それを記述するしかなすすべはない、と言う。
2009/01/11
2009/01/03
のぼうの城 by 和田竜
大リストラのほぼ中核にいる天罰か?あまりのストレスに2年間やめたたばこに手を出したせいか?ここ一週間咳が止まらない。
短い正月はおかげでほぼ寝正月となってしまったので娘から借りた「のぼうの城」でも読むことにした。
武家乱立・騒乱の時代の巨星たちの物語はもうずいぶん語られているけど、この本のような地域誌的なドラマの発掘がもっとあっていいと思った。今の埼玉県行田市にあった武州忍城という成田家の居城に対しての石田三成の城攻めの話。背景は豊臣秀吉の天下統一が関東の北条を攻めでなされようとしているときで秀吉寵愛の三成に武勲を立てさせるための多勢に無勢の小城攻めのはずだったが、あにはからんや農民からも親しみをこめて「でくのぼう」呼ばわりされる成田長親の「将器」がそれを跳ね返すというお話。
戦いの敵味方の人物がきちんと描かれているし、「将器」なるものが人心の掌握術だというテーマも単純な設定だけど言いたいことはわかる。話の展開が映画像をイメージできるヴィジュアルなものなのも和田竜という若い作家の感性か?
Subscribe to:
Comments (Atom)













